House Green Japan-オーストラリア・ファーム情報ブログ-

オーストラリアのファーム情報ブログです。

カテゴリ: 【ワーホリ体験談】

ワーキングホリデーが始まった2015年11月

私は、ファームの仕事をするためにタスマニアに来ていたのだが、いつの間にかワーキングホステルのハウスクリーナーになっていた・・・。

当時お金もなかったので、仕事があるだけ感謝をしていたが、私にとっては初めての英語環境だった。

学生VISAで半年間、語学学校に通っていたが、英語が話せるようになったとはお世辞でも言えないレベルだった。学費がもったいないと自分で思うくらいだった。

タスマニアのクリーナーの仕事は、韓国人のボスとスタッフだけだったので、英語で指示がくる。
なんとなく言っていることは理解はできたので、仕事をする上では問題なかった。
要は汚れているところをキレイにすればいいのだ。キッチン 廊下 部屋 など、毎日使われる場所をどんどん掃除していき、日本人が持つキレイ好きのスキルを思う存分発揮した。

そうして、クリーナーの仕事を順調にやって行く中、ホステルでは、今も仕事を待っている大勢の人を見ながらいつ仕事が始まるのだろうと疑問にも思っていた。

私は朝から晩までホステルの仕事をしていたので、1日のホステルの動きがわかった。

◯新しく来る人・・

◯待つのをあきらめて他へ移動する人・・

◯いつかは始まるだろうとどこかゆとりがある人・・

私には、はっきり分かれているように見えた。

ここでクリーナーをしていて思った。
”なぜ毎日新しい人がやってくるのだろう”とその答えは、あとになって知ることになる・・・

私が到着してから2週間くらいして、ようやく仕事が始まるという情報が流れて、喜ぶ人たちが多くいた、以前と違って表情にも明るさが見えるくらい顔が違っていた。

そして、仕事の初日。元気にファームへ向かって行く人たち、私はそれを見送りいつも通りグチャグチャになったキッチンをキレイにしていた。
そして、夕方になって帰ってきたワーカーはどこか暗い雰囲気であった。
仲がいい日本人に話を聞いてみると、

友人:思ったほど稼げない

自分:今日いくら稼いだの?

友人:はっきりわからないけど、多分30ドル〜40ドルくらいだと思うよー

リビングを見ると帰ってきた日本人が何人か集まって今日の話をしている。

”それぞれやった何本とか”
”これじゃージャパレスの方がマシじゃないとか”
”来週になれば単価が上がるとか”

それどれの今日の報告と情報の共有をしている。
それは、日本人に限ったことではなく、それぞれの国籍で同じような話をしていた。

自分はそれを見て、時給で働いている自分は、なんてラッキーなんだろうっと思っていたが、それと同時に日本人からのひがみや妬みが空気をとうして自分に向けられているようにも感じた。

その後も・・

”セカンド日数のために働く人”
”もっと稼げる場所を求めて移動する人”
”移動したが仕事がなく戻ってくる人”

いろんな人を見ながら自分は、クリーナーの仕事をしていた。

クリーナーの仕事も慣れてきた12月ごろだ。今日もどこからともなく日本人がやってきた。その子が言うには、メルボルンの掲示板に求人があってそれを通してここに来たと言うが、フロントの人は、そんな求人出してないと言っていた。不安な顔をする日本人の女の子だった。

自分も同じ感じでここに来たので、その話をして”ここではよくあることなんだよ。”
なんて先輩ズラして話をした。
そうしてきた人の選択肢は2つ。
仕事がもらえるまで待つか、あきらめて次へ移動するかだ。

実は、こうして人集めをしてレントとボンドを集めているホステルは多い。
私は後になってある人物が人集めをしていたんだっと知ることになるが、
それまで、普通に話をして信用もしていた人だったので、それを知った時はショックだったが、
その時、仕事もないのに”日本人が集まってくる仕組みは理解する”ことができた。

そして、人集めしている人は、ボスに気に入られていい仕事をもらったり、いい部屋をもらったり、お金をもらったりしていた。その事実を知った時、オーストラリアで生きて行く現実を知ったように思った。

私は、払わなくてもいい紹介料を払ってここのホステルにたどり着いたのだが、結果クリーナーという時給の仕事をもらっていた。

だけど、他の人たちは、着いたその日にレントとボンドを払うので300ドルは初日に払う。そして、着いてから周りから悪い話を聞いて、出ようとするも、ボンド(預け金)を返してもらうには、ホステルを出る2週間前に知らせないといけない。それは、イコール2週間分のレント(家賃)を払うことになるので、ホステル側は何も損をしないというシステムだ。

オーストラリアでファームをしているとよくあるシステムだが、ワーカー側は損をしやすいシステムだった。

人それぞれ色んな決断をして行動して行くが、私はホステルで働いていたため、そうした人たちを人より多く見て来た気がする。

今でも時々思う。

あの人たちは、あの後、どうなったのだろうっと・・・・



↓ホステルの玄関、今はもう引っ越していて新しくなっている。ここは古い時の場所です↓
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↓当時ホステルに住んでいた人たち、この中に人集めをしていた人がいます。その人は何くわぬ顔で、みんなと平気でお酒を飲んで楽しんでいた。また、1年後、自分が騙された同じ手口で、紹介料を集めていた人もこの中にいます。悪いことは繰り返されて行くと知った↓
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↓ホステルの廊下、中はかなり広くて100人ぐらい住める広さだった。掃除する場所も多かった↓
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NSWでチェリーピッキングが終わり、私はタスマニアに行くためにメルボルンに向かっていた。

2017年1月です。

もちろんタスマニアでチェリーピッキングをするのが目的であった。
タスマニアは3回目で、すでにファームの情報もかなりもっていたので、仕事探しには自信があったし、テント生活にも慣れていたので、どこでもやっていけると思っていたが、すぐに自分の考えが甘かったと知ることになった。

タスマニアに着くと早速チェリーファームへ行くためにデボンポートからホバートエリアへ向かって車を走らせた。

違和感を感じたのは、ホバートに着いてからのことだった。ファームへ向かう途中ヨーロピアンのワーカーを道沿いでよく見るようになり、キャラバンパークやテントサイトは人でいっぱいになっている光景を見た。
みんなチェリー目的で来ているのだとわかっていたので、心配することなくファームへ向かった。

ファームへ着くと早速、スーパーバイザーに会って仕事を探していると話すともうウンザリって感じの態度で、ウェイティングリストに名前を書くように言われた。状況を把握するために少し話をして見ると・・・

自分:    今何人ぐらい待っているの?

オージー:  多分50人くらいだ

自分:    テントがあるからテントを張って待っていたいんだけど、どこに張ればいい?

オージー:  仕事をゲットした人しかテントサイトは使えないんだ

自分はこの会話で、自分が今おかれている状況を知ることができた。

要するにワーカーが溢れているということだった。確かにタスマニアは収穫シーズンに入っていて仕事はある時期ではあったが、仕事量に対して圧倒的にワーカーの量が多い事態になっていた。

しかも、今仕事をもらっている人は、11月下旬〜12月上旬にすでにタスマニア入りしているので、1月5日に来た自分は、ファーム側からしたら論外だった。

私はいくつかのチェリーファームを回った後、すぐに切り替えてブルーベリーファームやベジタブルファームを回ってタスマニアの南側をあちこち回った。それでも、すでにワーカーが待機している状況でどこも同じ状況であった。

私は仕事があれば何でもいいと思い、タスマニアの北部へ移動してラズベリーファームやストロベリーファームを回って行った。

この時期、ほとんどの収穫物がシーズンに入っているので、人気があるチェリーなどは、仕事ゲットは難しいが、ストロベリーやラズベリーは、ファームの場所を知っていれば仕事を探すのは難しくなかった。
そして、私はストロベリーの仕事をゲットした。

3回目のストロベリーで、もう2度とやらないと思いながらも”いざ”という時はストロベリーに助けられた。

私はこうして、2年目に向かったタスマニアで、大失敗をしたのである。

情報も下見もしていたので、自信があったが、まさかの予想外のワーカーの量に私は完敗したのである・・・

どれだけ情報を持っていても・・

いつからシーズンが始まるかわかっていても・・

シーズンが始まってから行っては、すでに待っているワーカーに勝つことができないと身にしみて知ることができた2年目のタスマニアであった。


↓タスマニアのチェリーは実が大きく、
1Boxの単価も高いです。
それだけに稼げて人気があります↓
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↓チェリーファームが多いエリア、このエリアいったいはワーカーであふれていた↓
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↓当時把握していたファームの情報・そのおかげで、ストロベリーの仕事をゲットでき、どうにか生活することができた↓
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自分がワーキングホリデーをスタートしたのは、オーストラリアの南の島タスマニアでした。

2015年11月です。

それまでは、学生VISAでゴールドコーストにいたので、ワーホリは始めからファームでスタートをしました。

よくあるネットで出ている日本語の求人でタスマニアの求人があったので、応募して連絡をとっていたのですが、ある程度、話が決まるといきなり紹介料150ドルという話が出てきてびっくりしました。
オーストラリアでファームをするには、こういうのは当たり前なのかなっと思い、言われるがまま紹介料を払い、現地に向かいました。

タスマニアの空港に着くと迎えにきてくれた人がいて日本人だったので、ファームの仕事について聞いてみると、まだ始まってないという事でした。
いつ始まるかもわからない状況で、迎えにきてくれた日本人もファームをしにきたというのですが、もう何週間も待っているという話でした。今は、小遣い稼ぎに送迎をしていると言うのです。

ワーキングホステルに着いてみると50人くらいの人が仕事を待っている状況で、日本人・韓国人・台湾人が集まっていました。フロントに着いたので、カタコトの英語で、聞いてみると仕事はいつ始まるかまだわからない、という事と、紹介料を払ったことはホステルとは関係ない人ということでした。
以前働いていた人が勝手に求人を出して紹介料を取っていたというのです。

要するに私は騙されたのです。

日本人が日本人を騙すこの現実にショックを受けたのを覚えています。

ホステルについて日本人から色々話を聞いてみると自分みたいに紹介料を払ってここにきた人は20人くらいいて、もう何週間も仕事待ちをしているということでした。中にはもう1ヶ月待っている人もいました。いつ仕事が始まるかわからないということは、毎週レント(家賃)を払いここで待たなければいけないということでした。もちろん日々の食費もかかります。当時の私は手持ち800ドルだったので、いつ始まるかわからない事は、お金がなくなることを意味していました。なので、着いたその日は、これからどうなるのだろうと不安な夜を過ごました。

タスマニアのワーキングホステルに着いて3日目、現状は変わりなく、今日もどこから来たかわからない人たちが到着しているといった感じで、”また来てるよ”って思いながら彼らを見てました。
自分が来た時も周りはこんな気持ちだったのかなーっと思いながら3日目の朝にあることを行動に移しました。

それは、ファームジョブをあきらめて街で仕事を探そうということです。
その日、ゴールドコースト時代に作っていたレジュメを手に持って街へ配りに行きました。英語はまだまだなので、キッチンハンドの仕事を探し、街を歩き続けレジュメを10枚くらい配って1日歩きました。疲れたのでホステルに戻るとちょうど掲示板にハウスキーピングの募集があったのを見つけ、早速、フロントへ持っていた履歴書を渡しました。

次の日さっそく面接を受けて晴れて仕事ゲットすることができました。職場は全員韓国人で、英語でのやり取りでしたが、なんとか面接も通り(生きていくのに必死だった)その日をさかえにワーカー側からホステル側の立場になりました。

当時のホステルの日本人は英語があまり話せない人が多く情報がわからない不安な日々を過ごしている日本人が多かったです。
逆に韓国人は言葉が同じなのでホステルともよくコニュニケーションを取っていて情報を知っている感じでした。そんな中、自分がコリアン側についたように見える人が多く、裏では私のことを”コリアンの犬”と呼ぶ人がいたぐらいでした。

そんな状況ではありましたが、仕事はゲットできたし、時給20ドルはもらっていたので、生活の安定に比べれば、周りにどう思われようとも自分は平気でした。

しかも、掃除自体好きだったし、このホステルの汚い所をお金をもらって掃除できることに喜びもあり、毎日少しずつホステル内をキレイにしていくと住んでいるワーカーが喜ぶようになり、You a good job ! なんて韓国人や台湾人に言われるほどまでになりました。心の中では、これがジャパニーズクオリティーだ!なんて思いながら、毎日せっせと掃除に励みました。

初めは、騙させてここに来ることになったのですが、不思議なことに時給の仕事をゲットし、生活も安定させることができたことに喜びを感じるとともに、今もまだ、仕事がいつ始まるかわからない不安な気持ちのまま毎日を過ごしている日本人がホステルにいると思うと複雑な心境にもなりました。

こうして私は、早くもオーストラリアの現実を肌で感じることになったのです。


↓紹介されたホステル・今は新しくなり引越ししている↓
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↓左側の男性が私を騙した人、SNSで簡単に写真など見つけることができた。当時この日本人に騙された人が20人ほどいた。この人は去年(2014年)に働いていた人らしく情報を持っていただけだった。↓
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↓毎朝汚れるキッチンこれを掃除して1日が始まる↓
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↓仕事を始める前の手続きのため、説明会が開かれた。仕事が始まったのは11月下旬↓
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↓ワーホリが始まって1週間目の自分。掃除の仕事をゲットしている時。まだ、オーストラリアの現実がわからず、表情はイキイキしている↓
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私は、メルボルンの南西にあるスプリングベールという所にあるシェアハウスに住んで、ストロベリーpickingの仕事をしていた。2016年の2月の話です。

ストロベリーのファームはそこからさらに1時間ほどの場所にあり、コントラクターは3つのファームの仕事のあっせんをしていた。

◯1つ目のファームは、日本人だけを集めたファームで、坂があり土地柄も悪くストロベリーの質も良くなかった。ここでは、なぜか日本人の比率が大きかった。

◯2つ目のファームは、観光客用に作られたファームで、お客さん用に収穫できるエリアとpicking用のエリアに分かれていた。敷地内にはカフェもあった。ストロベリーの質も良く、土地柄もなだらかな平地だった。ここでは、韓国人のピッカーが多く働いていた。

◯そして、3つ目は、海岸の近くにあるファームでここだけ足で蹴って使うトロリーが使える場所だった。このトロリーを使えるってことは収穫スピードも2倍くらい違い、ピッカーにとっては、大きい違いであった。

私は始め日本人ファームにいたが、どういうわけか途中で、韓国人ファームへ移動になった。私は、ピッキングが早くはなかったが、自分が取るストロベリーのクォリティーがよかったらしく、ストロベリーの質がいい、この韓国人ファームへ移動になったのだ。

そこでは、8割が韓国人で、残りは、日本人と台湾人だった。始めはストロベリーの質も良く大きい実が多かったので、日本人ファームよりコリアンファームの方が稼げたが、
すぐに前のファームとは違うここのルールを知った。それは、早いピッカーが遅いピッカーをターゲットにして、人のレーンのストロベリーを取るということだった。多くの場合、真面目な日本人ピッカーがターゲットになり、自分のストロベリーを取られていることも気づかずに働いている人もいた。

日本人ファームでもミドル(中間)になっている実は早いもん勝ちという暗黙のルールがあったが、ここでは、そのミドル(中間)もこえて人のレーンまで手を伸ばし、いいストロベリーだけをとっているコリアンが多かった。そして、残った中ぐらいの実とラビッシュは遅いピッカーがとっていくというシステムだった。

私は、これはおかしいとスーパーバイザーに言った。その後、トップピッカーにも、あなたは間違っていると言った。ここで働く数少ない日本人の立場が悪くなるが、自分は、おかしいことにはおかしいという性格なので、しっかりと声をあげて伝えた。やがて、スーパーバイザーも自体を重く見たのか、みんなを集めて韓国語で何かを伝えていた。内容がわからなかったが、韓国人が他のピッカーからストロベリーを盗み取る行為は、少し収まりを見せた。

だが、それも長くは続かなかった。2週間もすれば元に戻っていた。理由は簡単だった。ストロベリーを横取りできなくなったコリアンは稼ぎが減ったからだ。また、隣の人間に取られる恐れがなくなったピッカーは前よりスピードが落ちて、全体の仕事量が落ちたこともスーパーバイザーにとってよくなかった。

ちょうど、その頃だった。自分へのイジメが始まった。

自分は格好の標的になった。韓国人のトップピッカー達が何人かで自分をマークして挟み撃ちにして、私のレーンのストロベリーを両方から盗み取っていった。私は数少いストロベリーをとってそのまま仕事をつづけたが、イジメはさらに悪化していった。すれ違いざまに”Fuck off”と言われたり、仕事中に遠くからストロベリーを投げつけられたりもした。

私は、スーパーバイザーに言った。もうこれ以上ここでは働けないから、前の日本人ファームに戻して欲しいとスーパーバイザーは了解して、次の週から前にいたファームへ私は戻った。戻った後も、しばらくは人間不信で人に対して壁を作っていたが、やはり、言葉が通じる日本人とは、安らぎを感じ、徐々に自分らしさを戻していった。

私がここを辞める1週間前に3つ目のファームの仕事が私にきた。海側にあるファームだ。私はそこへ行って驚いたのは、足で蹴って使うトロリーの存在だった。今まで使っていたのは3輪車で手押し車だったので、自分は、てっきりこれがストロベリーpickingだと思っていた。しかし、ここでは、足で蹴って乗るトロリーがあり、スピードも収穫量も2倍違っていたので、私は今まで、何も知らずに働いていたのだと感じた。

そして、もう辞める自分に最後は、楽をさせようとここに呼んだのだと気づいた。

私は次の週にタスマニアへ向けて旅だった。

私はこのファームで、3つのファームで働いた数少ない日本人ですが、全てのファームに行ったからこそ
ここのファームの仕組みが理解できた。

◯日本人は、人気がないファームへかためる。

◯韓国人は、質のいい実が取れるファームへかためる。

◯そして、ピッキングが早い人や韓国人にゴマをすっている人間は、トロリーがあるファームへ行けるという仕組みだった。

同じ日本人でも、人集めする人やスーパーバイザーと付き合うことで、自分の立場を守る人もいた。
私は、そうした現実に人間の汚い部分を見たような気がした。

そして、正しいことを言う人間はイジメにあい。多数派に負けていく・・・

私は、語学学校に行っているときに韓国人の友達もいて偏見などはなかったが、ここで働いて、確実に韓国人に対する見方が変わったのは事実だ。中にはいい人もいるが、こうした現実もあることを知ってもらいたい。

私は30歳を過ぎてイジメにあったのだった。

※下の写真は、当時の頃の写真だ。休みなく、お金も稼げず、雨の日も働いていたが、どんな時でも自分は笑顔を忘れなかった。だから、笑っている写真が多いが、それは周りの人のためでもあった。

↓三輪車で押すトロリー、このファームに出会ったらすぐに辞めることをすすめる↓
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↓一般的なトロリー。自分がやめる週に行ったトロリーが使えるファームです。QLDの多くのストロベリーピッカーはこれを使っていると思いますが、これで、働けることはいいことです。↓
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↓一番左にいるのはシェアハウスのオーナーで日本人だが、韓国語と中国語を話す。彼はレントを集めて働かずに生活をし、一緒に住む若くて可愛い子と付き合っていた。お互いにメリットがある関係であるが、自分からすれば違和感しか感じなかった↓
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↓笑っている写真が多いが、私自身年上ということもあり、周りには明るく接していることが多かったからだ。しかも、多くの日本人は不満があっても黙っている人が多く、自分のようにイジメに会う人は少ないと思うが、私からすれば理不尽な世界だと思う↓
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私は、ホップのピッキングのためにヴィクトリアに来ていた。2017年3月です。

仕事が始まるので、ファームが持っているアコモデーションに入って仕事を始まるのを待っていた。
仕事は次の週からすぐ始まった。日勤と夜勤があり、ヨーロピアン100人ほどいる中、自分1人だけの日本人だった。国籍は、ドイツ人が中心で、英語を話せて当たり前って感じの雰囲気で仕事が始まった。

pickingの仕事と思っていたが実際にやってみると工場の仕事に近い感じだった。仕事内容は、運ばれてきたホップを機械のフックに吊るしていくという作業でした。これがなれるのに少しコツが必要で、女性のワーカーには少しきついように感じた。1週間もすればグループや一緒に働くオージーともコミュニケーションが取れるようになり、仕事も効率的になっていった。

ただ、自分が予定していたより、手持ちのお金が底をつき始めていた。毎日のガソリン代や食費に残りのお金を計算していた。
必然的に食事は食パンと水に代わり、自分は給料が入るまで、それでお腹を満たしていたが、一緒に働いていた50代くらいの女性のオージーが自分の食事を見て気にかけてくれたようで、バナナやお菓子など、くれるようになった。

そんなことに喜んでいると、5日目には、自分のランチボックスにサンドイッチやフルーツなどを入れてくれるようになり、私は、そのことに嬉しさと情けなさを感じながら、泣きながらそれらを食べた。
周りのオージーの人も自分が泣く姿を見て声をかけてくれた。
何をいっているかはっきり理解はできなかったが、伝えようとしていることは気持ちで理解できた。

日本から遠く離れた。ここオーストラリアで、自分は、オージーの人から食べ物をもらい給料が入るまで、飢えをしのぐことができた。私は、この時、泣きながら食べた食事や女性のオージーのことを一生覚えているだろう。それくらい、心に残る出来事であった。

そうして、1ヶ月が立ち、ホップのシーズンも終わる時期がきた。ホップは時給で週6だったので、週1000ドルの稼ぎがあり、1ヶ月で40万ほど稼ぐことができた。こんなに稼げたのは初めてだったので、嬉しかったが、このファームに1年目で出会っていればと残念な気持ちもあった。

何がともあれ、仕事も無事終わり、稼ぐことができた。しかも、お金がないときは、食事までもらったことに本当に感謝していた。

仕事が終わり、お世話になったオージーに自分で稼いだお金で買ったプレゼントと感謝の気持ちを書いた手紙を渡した。もう2度と会うことがないと思うが、自分は人前でこんなに泣きながら食事したのは、生まれて初めてだったので、ここで経験したことを今度は自分が誰かに恩返しできればと思いながらオージーの女性と別れた。

ファームで初めてこれほど稼ぐことができたので、車のメンテナンスのため、私はその後、街に1週間滞在して、今後の計画を考えていた。

セカンドも残り6ヶ月ほどだったので、限られた時間でどれだけ情報収集ができるか心配であったが、手元にあるお金が自分に勇気をくれていた。

そして、あの女性のオージーの優しさを感じながら、私は次の街へと移動した。


↓ホップとは、ビールやワインの元になるアルコールのもとです↓
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↓工場内の写真・ホップを機械に吊るしていく↓
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↓トラックに乗って運ばれるホップ↓
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